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沢登りって?!

ただ、あまり安易に考えては欲しくないのですが、沢登りはやっぱり、かなり危険な登山ジャンルです。死亡事故も毎年発生してます。ですから、一度も山を歩いたことはない、運動もしたことはないという人はやっぱりきついでしょう。沢登りには総合力が必要です。それなりに重いザックを担いで、岩場をよじったり、泳いだり、そして、沢の中で生活するという特異な遊びです。

色んな山登りの形態の中でも、生活技術も結構なウェートを占めると思います。いくら見事なゴルジュをこなせても、黒焦げご飯を食べざるを得なかったり、つきの悪い焚き火にいぶされたりでは旅の完成度は下がります。夕食にイワナの刺身が登場する至福の時も逃せません。

ですが・・・、沢登りが持つ多様性は短所のように見えて長所であるとも思うんです。普通の登山ならボッカ力がクローズアップされたり、登擧なら岩の技術ばかりが全面に出たり。それに対し、沢は短所と長所をカバーしあえる面がありますね。歩きのこなしがイマイチの人もテン場で調理にかかると俄然光り出したり、焚き火がうまかったりってな具合です。何も1人がスーパーマンである必要はありません。風になびく花の名前を教えてもらえたら、私でもうれしいです。尾根に比べて多用な生物が見られる気がします。まあ、ほとんどはすぐに忘れるんですが(^_^;)

沢はリーダー次第でどこにでも行けるということを聞いたことがあります。耳の痛い言葉です。私ももっと修行を積まねば。沢登りは感性の遊びです。五感を解放させましょう。あなたの人生に何かがきっと加わること請け合いです。もちろんできる限りのフォローはしますよ。

秀逸の文章があります。ご一読あれ。

大阪わらじの会 年報『遡行 No,20』より
 
大阪わらじの会・・・沢登り専門の会。普通の山岳会ならチーフになるようなツワモノがゴロゴロいてそうな関西きっての名門沢ヤ集団です。(記 sawabito)


ネアンデールな仲間達


(はじめに)
 一般の人と話をしているとき、趣味に関する話題で盛り上がることがよくある。しかし、我々が営んでいる?沢登りという行為を普通の人に説明することは極めて困難である。その原因として、沢登りには体験してみなければ想像しがたい要素が極めて多く含まれることが挙げられる。そこで、沢登り未経験者が初めて沢を遡行するという架空の山行記を書くことを試みた。すなわち、沢登り未経験者の視点から書かれた手記を読むことによって、沢登りを全く知らない人でも沢登りがどのような行為なのか容易に理解できることを期待したわけである。この手記が、一般人に沢登りについて説明を試みる人や沢登りを経験したことはないものの興味を抱いている人の役に立てば幸いである。

(手記:ネアンデールな仲間達)
 このたび,就職に伴って関西に移り住むことになった。職場はネアンデール研究所というネアンデールタール人をはじめとする古代人の研究を行っている研究機関である。やがて関西での生活も数ヶ月過ぎた。北方の出身地の私には次第に酷暑へ向かってくる関西の気候に根を上げつつあった。ある日、研究所の先輩に愚痴をこぼすと、「それなら週末沢にでも行ってみるか?」と誘いを受けた。
「サワって何ですか?」
「沢登りのこと、まあ、一度行ってみるといいよ」そういうわけで、訳の分からないまま、沢登りというものを体験することになった。この時には、数日後この世のものとは思えない体験をするとは夢にも思わなかった・・・
 土曜日の早朝、とある駅前で先輩と待ち合わせすることになった。話によるともう一人先輩の友人が参加するらしい。3人集まったところで車で出発する。先輩の友人は歯科医を営んでいるとのこと。なんでも「ネアンデンタルクリニック」というのを開業していて、軟弱化した現代人の顎や歯を古代人のようにたくましく治療することを試みているらしい。彼は乳歯からハーケンまで何でも抜いてしまう凄腕の歯医者とのこと。やがて、車中では「ナメ」だの「ゴルジュ」だの訳の分からない用語が飛び交う。さらには「シリュウノヒダリマタEタニヒダリマタノミギマタソコウ」などと、この作品を執筆している筆者にも訳の分からない単語も飛び交う。おそらく、白川又川上流部に関する話題であろう。やがて車は工事関係者と犯罪者くらいしか通らなさそうな山道に入っていった。不法投棄された廃車の隣に車を止め、近くを流れる小川を3人で眺める。
「ここがクロマニヨン渓谷本流の右又C谷左又だな」
地図を見ながら歯医者が言う。
「水量も大したことないし、早速用意するか」
先輩の言葉が終わるや否や、二人は服を脱ぎ出す。いくら人里離れた山中とはいえ・・・
軽いカルチャーショックを受けながら、私も着替え始める。着替え終わると先輩がハーネスなるものを貸してくれる。深夜番組で見たことのある、いわゆる女王様と呼ばれる人が使用する拘束具?みたいなブツを説明に従って身につける。軽く体をほぐした後、いきなり二人はじゃぶじゃぶと水の中に入っていく。話には聞いていたものの、いきなり何を始めるんだ、と再びカルチャーショックを受ける。一方で、常識を越える行動に少し快感を覚えながら後に続く。初夏の強い日差しの中、冷たい水にふるえながら歩いていくのはなんとも不思議な気分である。また、釣具屋で購入したフェルト底のタビが滑りやすい沢底の石を確実に捉えていくのが心地よい。この時はまだ、やがて訪れる信じられないような展開を予想だにしなかった。
 やがて、谷の両岸は険しく切り立ってきた。いきなり、先行する二人がバナナを発見した飢えた野猿のような叫び声を発した。前方を見ると、深い淵が我々を待ちかまえていた。早速行き詰まってしまったようだ。一体どうするのだろう、と思っていると何と彼らは再び野猿の叫び声を発し淵に飛び込んで泳いで行くではないか。しかも服を着てザックを背負ったままで。初夏とはいえまだまだ沢水は冷たいこの季節。信じられない光景を見ながら、こんな訳の分からない連中についてきてしまった私は人生に於いて大いなる間違いを犯してしまったような気がした。しかしこんなところに置いて行かれたらそれこそたまったものではない。幸い泳ぎは苦手ではない私は淵に身を沈め、強烈な水の冷たさにしびれながら必死になって泳いで前方の岩盤にたどり着いた。ぶるぶる震えながら河原を歩く。ザックはこなきじじいを背負ったかの様に重くなっていた。しかし、例の二人はものすごく楽しそうに叫び声を挙げている。同じ人間なのにどうしてこんなに感覚が違うのだろう。ここで、昼飯の時間。温かい飲み物を飲んでようやく体の震えが止まった。出発してしばらくすると、今度は20メートル以上はあるだろうか、大きな滝が現れた。おいおい、今度はどうするんだ?と思っていると、
「これ登れるかな」
「さすがに無理じゃない」
と二人は重力というものを完全に無視した会話をしている。結局、滝の右側の木々の間を登ることになった。とはいえ、道も何もないところである。薮をこぎ、転落しないよう木の技や根をつかみよじ登る羽目になった。直立二足歩行に慣れた身にはとても厄介である。それに落ちたら大怪我をすること請け合いなので必死である。しかし、先行する二人はサルのごとく平気でどんどん進んでいく。おいおい、おまえら進化してないぞ・・・
 泥まみれになってようやく滝の上にたどり着いた。こっちは必死な形相になっているのに二人は涼しい顔をして地図を眺めている。
「後いくつ滝が出てくるのかな」
おいおい、まだこんな所が出てくるのか・・・
同じ様な滝がさらに2回も出てきて、明らかに進化の途上にあるとしか思えない二人に必死について行くうちに、日暮れが近づいてきた。
「そろそろ、泊まろうか」
 やれやれ、ようやく一日が終わった。なにより無事で良かった。とりあえず、テントの中でゆっくり休みたい。と思っていたら、先輩と歯医者が広げているのはなんとも粗末な一枚の布きれ。こんな所にどうやって寝るんだ・・・呆気とられて見ているうちに、彼らはその布きれを器用に張り、その辺に転がっている木材を集め始めた。 
 焚き火が燃え上がり、酒が回って、少し焦げ付いたご飯で腹が膨らんでくると、沢に来て初めて良かったなという気分が味わえた。ほっと一息ついていると先輩と歯医者がプレイしなれた手つきで縄の結び方を教えてくれた。これが八の字結び、これがブルージック、これが亀甲縛り・・・ほどいてくれ−
焚き火のそばでうとうとしていると、夜空から滴が落ちてきて極めて不快。しかも、底はそのまま地面なので冷え込みが厳しい。そんな私の思いをよそに隣からは気持ち良さそうないびきが聞こえてくるのであった。
 まんじりともしないままに朝を迎えてしまった。しかし、幸い天気も回復し良い日和になりそうだ。川面から立ち昇る朝霧に何とも言えない趣を感じる。ただ、体中に染み着いた焚き火の匂いがとても気になる。ラーメンを食べて出発の用意をしていると、先輩はキジを撃ちに行って来ると言って出かけていった。何を訳のわからないことを、と歯医者に尋ねると、どうやら排泄のことをキジ撃ちと言うらしい。しかも紙を持たずにどうするんだろう?答えを聞くのが恐かったので敢えて尋ねなかった。
 昨日は現代的な生活をしている限りほとんど使用することのない筋肉を酷使したため体中が痛い。しかし、沢の雰囲気は明るく、歩いていて気持ち良い。そのような気持ちになったのも2日目となり沢にも慣れ気持ちに余裕が出てきたのかもしれない。やがて、どのくらい沢を遡ったことであろう、大きな岩を乗り越えるのに苦労していると、先行する二人の発するこれまでに比べて一オクターブ高い原始的な叫び声が沢中にこだました。今日はこの谷で一番の見所の「ナメ」という所が待ちかまえていると聞いていた。ようやく目的の場所に着いたのであろう。大岩を越えて小さな滝を登ると一気に展望が開けた。長さ100メートルはあるだろうか、一枚岩の緩やかな美しい滝が私を待ち受けていた。しかし、それよりも私の目を釘付けにしたものは・・・何と表現すればよいのだろうか、生まれたままの姿で奇声を発して岩盤を駆け回ったり釜に飛び込んだりする二人の姿であった。私はそのとき悟った。古代人の研究を行うのに何も化石を発掘したり分析したりする必要はないことを。まさに目の前に、数千年、いや数万年もの昔、我らが遠き祖先達の生態が再現されているではないか。私は自分の存在している空間が現在のものとは思えなくてしばらくの間呆然として立ちつくしてしまった。
 この先やがて沢は支流を分ける度に小さくなり、この山行の終わりを示しつつあった。やがて水は尽きしばらく薮をこぎながら急な斜面を登ることになった。しかし、もはや今の私は何が出てきても驚くことはなくなってしまった。原始人的、あまりにも原始人的な・・・世界を垣間見てしまったから。薮がつきると辺りの風景はやや暗い鬱蒼とした樹林へと変わっていった。ゲゲゲの世界という感じであろうか。そんなことを考えていると前方から我々と同じ様な格好をした集団がこちらに向かってくるのが見えた。しかし、格好は似ているが彼らからは独特な怪しい雰囲気がただよっていた。次第にお互いに近づき、彼らの容姿がはっきりと確認できたときには思わず声を挙げそうになった。怪物君、フランケン、ヌラリヒョン、ヤマトコゾウといった妖怪の集団ではないか。しかし、身震いする私をよそに先輩と歯医者は妖怪達に話しかけていた。
「最近集会出てないから久々ですね」
「俺ら、ナウマン沢遡行したとこや」
このとき私は怪物や妖怪が関西弁を話すことを知った。

(エピローグ)
 あの日から一年経った。なぜか私は谷の中にいた。あれから現実の社会に戻った時、不思議にもあのにわかには信じがたい体験がなんとも懐かしい記憶となった。そして再び沢に足を向けることになった。やがて、いつしか自分も先輩達と同じように太古の光景を再現させるかのごとく、泥まみれになって薮をこぎ土や草の匂いをかぎ、無邪気に滑や釜と戯れる時を過ごすことを楽しみとするようになった。微妙なバランスで滝を越える時には生きている事への渇望を感じる。時にはかつて東北の遠野地方に生息していた妖怪の仲間達と沢の旅を共にすることもある。そんな中、ふと我に返った時、一体進化とは何であろうと自問自答することがある。進化の終着点とも言える現実の生活では失われた生の実感を取り戻すために、古代の記憶を取り戻すかのごとく沢に足を向けるのかもしれない。

(注)この作品はフィクションです。実在する人物、研究所、歯科医、渓谷、怪物、妖怪
とは一切関係ありません。
                                 記)小野禰庵(おののねあん)

                               筆も立つ”大阪わらじの会”ですね



   
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